新撰組最古参隊士、”レヴェナント(よみがえりしもの)”蟻通勘吾のTシャツです。
蟻通勘吾は、1863年6月頃に壬生浪士組に入隊した新撰組最古参隊士のひとりです。
壬生浪士組時代から在籍し、箱館まで転戦した新撰組隊士は、土方歳三、島田魁、尾関雅次郎、そして蟻通勘吾のみ。
また、古参隊士でありながら平隊士の地位に留まり続けた稀有な人物でもあります。
池田屋事件では井上源三郎隊に属し出動。屋内での戦闘に参加し激闘を見せ、その後の行軍録では一番隊に配属。沖田総司の次に名が記されており、かなりの腕の持ち主だった事が窺えます。
ちなみに池田屋に出動した隊士のほとんどが報賞金を貰っているのだが、蟻通さんは17両も貰っており、これは井上源三郎、斎藤一、原田左之助、島田魁らと同じ金額だそう。
蟻通の活躍の程が推察されます。
さらには三条制札事件でも報賞金を貰っており、天満屋事件でも活躍したそうです。
また、新撰組が幕臣に取り立ててもらった際には、見廻組並御雇格になっています。
戊辰戦争では各地を転戦。会津白河口黒川の戦いで、会津藩兵とともに3名で一番槍を入れる活躍をするも、被弾。
敵兵が死骸と思い捨て置くほどの重傷を受けながら、まさに日本版『蘇りし者』とも言える執念で、刀を杖にして味方の陣地に辿り着きます。
蝦夷へ渡航する際にも従ったものの、箱館病院に入院し重体に陥ってしまいます。
隊士たちが「自分たちで看病したい」と病院に申し入れ、蟻通を退院させて旅宿に移したが、蟻通はなんとここでも奇跡の回復を遂げます。
結局は、新政府軍による箱館総攻撃が行われた際、数少ない新撰組の生き残りとして、最期の戦いに立ち会い、箱館山の上にて戦死。享年30歳であったと言います。
※こちらは、東京は御茶ノ水『レキシズルバー』に行ってみた際にリクエストをいただいて、制作しました!
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