乗機の機体に白い百合のパーソナルマークを描いていたといわれ”スターリングラードの白百合”、”スターリングラードの白薔薇”の異名をとった第二次大戦中のソ連空軍の女性エース・パイロット、リディア・リトヴァクのTシャツです。
総撃墜数は12機と名立たる撃墜王に較べると少ないですが、同じくソ連のエカテリーナ・ブダノワ(6機撃墜)とともに、史上2人しかいない女性エース・パイロットの1人です。
彼女の主な搭乗機は、ヤコブレフYak-1(黄の44号機)とYak-1B(白の23号機)でした。
Yak-1は、ソ連で開発された戦闘機で大戦初期の主力機であり、その後の一連のヤク戦闘機シリーズの始祖となったため、ソ連側では「最も偉大な戦闘機」のひとつとして記憶されているそうです。
1941年6月バルバロッサ作戦の発動によりナチス・ドイツのソ連侵攻(ソ連側で呼ぶ「大祖国戦争」(独ソ戦・東部戦線))が始まると、あっという間にキエフ、ハリコフなどの都市が次々陥落。
ソ連はクレムリンまで数十キロの所まで迫られてしまいます。スターリンの大粛清により戦場を指揮する貴重な将官たちが欠乏していたことも大きな原因とされているそうです。
この国家存亡の危機に女性たちも兵士として志願、銃を持って立ちがります。
戦車を製造していた女性工員たちがそのまま戦車兵として、射撃の腕が優秀な女性は狙撃手として、祖国のために立ち上がります。
年齢は15歳から30歳まで、100万人を超えるソ連女性たちが従軍したといわれています。
この時、リディアも志願。のちに男性部隊に配属になり、スターリングラード空域で戦います。
優秀であった彼女は、いつしか「スターリングラードの白百合」(欧米では「スターリングラードの白薔薇」)と呼ばれるようになりました。
無線コールサインもリリア(百合)で、彼女自身も花を愛し、よく野の花を摘んでは愛機のコクピットに飾っていたとのこと。
この頃、彼女はアレクセイ・ソロマチン大尉の僚機を務めます。
彼もまた15機撃墜のエース・パイロットでしたが、5月21日に行った新人パイロットとの飛行訓練中に殉職、リディアは非常な衝撃を受けました。
母への手紙には、ソロマチンが死んだ後になってはじめて自分が彼を愛していたことに気づいた、と書かれているそうです。
同部隊の機体整備兵であったニーナ・パスポルトニコワ曹長によれば、ソロマチンの死後、彼女は憑かれたように空戦にのめり込むようになっていったそうです。
初陣からほぼ1年の1943年8月1日、対ドイツ空軍攻撃隊への索敵攻撃任務で、彼女にとってこの日4度目の出撃、66回目のミッションにおいて、リディアはドンバスにあるクラスニィ・ルーチ基地へ帰還しませんでした。
彼女の最後の姿を見たとされる同僚ヴォリセンコの証言によると、雲の切れ間から見えた彼女のYak-1は、煙を吐きつつ8機ほどのBf 109に追われていたといいます。
ヴォリセンコは降下し彼女の機を探してみたものの、パラシュートも爆発も確認できませんでした。
彼女の遺体が見つかったのは戦後、36年経ってからでした。とある村にひっそりと埋葬されていた遺体は、調査の結果、リディア・リトヴァクであると判明。
1990年5月6日、ゴルバチョフ大統領によりリトヴァクの国葬が執行され、同時に彼女にはソ連邦英雄の称号が贈られることになります。
ただし、やはりといいますか、公式記録としてのリトヴァクの死に異論を挟む主張も少なくないとのことで、生存説が取り沙汰される事もあるそうです。
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