北畠顕家 歴史人物Tシャツ027
南北朝時代の公卿、武将。
後醍醐天皇の信任厚い親房の長子として、13歳で左中弁となり、北山行幸に供奉して華麗な舞い姿を披露した。
建武新政とともに16歳で陸奥守に任じられ、義良親王を奉じ父と陸奥に下った。宮城郡多賀を国府とし、苦心して奥羽両国を平定。
1335年足利尊氏が反すると、鎮守府将軍に任じられ、尊氏を追撃して西上、新田、楠木らと協力し尊氏を九州に敗走させた。
戦局の小康後、陸奥に帰任。
しかし尊氏が勢力を盛り返すと、後醍醐天皇の再度の要請により37年ふたたび西上、翌38年美濃に入ったが青野原で敗れた。
伊勢、伊賀を迂回して奈良から京都をうかがったが、ふたたび敗れ、同行した義良親王を吉野へ送り、同年摂津国天王寺で幕府軍と戦い、和泉国石津で戦死した。
死の1週間前、新政を批判した6か条の意見書を後醍醐天皇に出している。
後醍醐天皇と建武新政に青春を賭けた、21年の短い生涯であった。(日本大百科全書(ニッポニカ)より抜粋)


