幕末の討幕派志士。土佐の大庄屋の長男。
学問を間崎滄浪に、剣を武市瑞山に学び、国事に目覚める。
武市瑞山らが土佐勤王党を結成するやただちに加盟、同志50人と京都、江戸に出て尊攘運動に参加。
八月十八日の政変後、藩の勤王党弾圧が激化したため脱藩して周防三田尻に赴き、以後長州藩をバックに活動。蛤御門の変では忠勇隊とともに戦い、負傷して長州に退く。
のち三条実美の周辺にあって、薩長同盟を画策し、1866年に坂本龍馬の協力でこれに成功。
翌1867年、土佐藩より脱藩を赦され、薩摩の西郷隆盛らとの間に薩土討幕の密約を結ぶ。土佐藩の遊軍として龍馬は海援隊、慎太郎は在京の浪士を集めて7月京都に陸援隊を組織し、武力討幕の一翼とした。
幕府大政奉還後の同年11月15日夜、京都河原町の下宿近江屋に龍馬を訪れて会談中、幕府見廻組に襲われてともに斬られ、17日絶命。(日本大百科全書(ニッポニカ)より)



