日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。長野県埴科郡西条村出身。
大東亜戦争末期の硫黄島の戦いにおける、日本軍守備隊の最高指揮官として知られる。
戦闘自体は敗北に終わったものの、僅か東京都北区程度の面積に過ぎない硫黄島を、日本軍の3倍以上の兵力、および絶対的な制海権・制空権を持ち、予備兵力・物量・兵站・装備全てにおいて、圧倒的に優勢であったアメリカ軍の攻撃に対し、最後まで将兵や兵士の士気を低下させずに、アメリカ軍の予想を上回る1ヶ月半も硫黄島を防衛した指揮力は、アメリカ合衆国では高く評価されている。
従来、日本軍の島嶼防衛における「水際作戦」という方針を退け、長大かつ堅牢な地下陣地を構築したうえで、不用意なバンザイ突撃による玉砕を厳禁し、部下に徹底抗戦を指示した。
その結果、アメリカ軍の死傷者総数が、日本軍守備隊のそれを上回るという成果を上げ、またM4 シャーマン中戦車やLVT等を多数撃破・擱坐させるといった「物的損害を与えること」にも成功し、のちにアメリカ軍元帥をして「勝者なき戦い」と評価せしめた。(Wikipediaより)
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