1863年6月頃に壬生浪士組に入隊した新選組最古参隊士のひとり。
壬生浪士組時代から在籍し、箱館まで転戦した新選組隊士は、土方歳三、島田魁、尾関雅次郎、そして蟻通勘吾のみである。
また、古参隊士でありながら平隊士の地位に留まり続けた稀有な人物である。
池田屋事件では井上源三郎隊に属し出動。屋内での戦闘に参加し激闘を見せた。その後の行軍録では一番隊に配属。沖田総司の次に名が記されており、かなりの腕の持ち主だった事が窺える。
戊辰戦争では各地を転戦。会津白河口黒川の戦いで、会津藩兵とともに3名で一番槍を入れる活躍をするが、被弾。
敵兵が死骸と思い捨て置くほどの重傷を受けながら、刀を杖にして味方の陣地に辿り着く。蝦夷へ渡航する際にも従ったが、箱館病院に入院し重体に陥る。
隊士たちが「自分たちで看病したい」と病院に申し入れ、蟻通を退院させて旅宿に移したが、蟻通は奇跡の回復を遂げる。
新政府軍による箱館総攻撃が行われると数少ない新選組の生き残りとして、最期の戦いに立ち会った。