大谷刑部吉継 歴史人物Tシャツ119
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。
豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。大谷刑部の通称でも知られる。
秀吉をして「百万の兵を率いさせてみたい」と言わしめたともいわれる名将。
関ヶ原の戦いでは、親友である石田三成の固い決意を知り熱意にうたれ、敗戦を予測しながらも息子達と共に三成の下に馳せ参じ西軍に与し首脳の1人となった。
業病を患っており、眼疾のために失明して輿に乗って軍の指揮を執った。
本戦では小早川秀秋隊1万5,000人が東軍に寝返り大谷隊を攻撃するが、初めから小早川隊の謀叛に備えていた直属の兵600で迎撃し、更に前線から引き返した部隊と合力し、兵力で圧倒する小早川隊を一時は500メートル押し戻し2、3回と繰り返し山へ追い返したという激戦ぶりが伝わる。
しかし吉継が追撃を仕掛けたところへ、秀秋の裏切りに備えて配置していた他の4隊4200人が東軍に寝返り突如反転、大谷隊に横槍を仕掛けた。
これにより大谷隊は包囲・猛攻を受け防御の限界を超えて壊滅、吉継は自害した。享年42もしくは36。(Wikipediaより)


