山川浩(大蔵) 幕末・明治 会津 家老・軍人 歴史人物Tシャツ Historical Figures 089

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黒柄・半袖 – Black Design/Short ①

黒柄・半袖 – Black Design/Short ②

黒柄・長袖 – Black Design/Long

黒柄 – Black Design

幕末会津家老にして生まれながらの軍人気質、会津戦争での彼岸獅子入城、西南戦争における熊本城救援という華々しい功績を戦史に刻んだ”知恵山川”こと山川浩(大蔵)のTシャツです。

山川浩(大蔵)とは – コトバンク

2013年NHK大河ドラマ『八重の桜』では玉山鉄二さんが演じた幕末会津の若き知将。

慶応2年(1866年)に幕府の使者と同行してロシアへ渡航し、ヨーロッパ諸国を見聞して世界の大勢を知り、攘夷の非を悟ったといわれていますが、
その旅の中で立ち寄ったエジプトでピラミッドを見学した際、東洋人をさげすむ態度をとった現地ガイドを殴りつけたというエピソードがあるなど、腕っぷしが強く強情、非常に反骨心のある性格だったそう。
一方で若くして機知に富んだ機略から”知恵山川”と呼ばれました。

戊辰戦争では下野各地を転戦後、防衛総督として会津城籠城戦を戦います。
その際、既に包囲された会津若松城に入城できなかったため、会津地方の伝統芸能・彼岸獅子を先頭で舞わせながら入城するという離れ業を演じました。
新島八重もスペンサー銃を手に戦ったこの籠城戦は、白虎隊や娘子軍の悲劇など痛ましい話が多いですが、この作戦は唯一痛快な話として語り継がれています。

新島(山本)八重 幕末・明治 会津 女傑 歴史人物Tシャツ Historical Figures 081

この機知に富んだ策略は敵味方から賞賛され、会津に山川浩ありと知れ渡りました。

【 敵包囲網を突破せよ 】会津戦争で敵中堂々入城してみせた彼岸獅子作戦

戦いに敗れ、1869年(明治2)会津藩が陸奥国斗南に3万石のみを与えられ流されると、斗南藩権大参事として開拓と家臣団統率にあたりました。
藩の実収は少なく藩士の生活も困窮し、自身も妹・咲子(捨松)を函館へ里子に出すなどの苦労を重ねました。

そして廃藩置県後、かつて日光で戦った谷干城に招かれ陸軍省に入り、陸軍少佐として佐賀の乱、西南戦争に参戦。
選抜隊を率いた山川は、薩摩軍が攻囲し、その熊本鎮台司令長官・谷干城が立て篭もっていた熊本城への入城に成功し、救援部隊第1号となるなど奮戦、輝かしい軍功を挙げました。

その後は、東京高等師範学校(筑波大学の前身)の校長を努めるなど教育界でも重きをなします。
また会津藩の朝敵の汚名を雪ぐため、幕末の一級史料である『京都守護職始末』の草稿を残しました。この中で、当時会津藩主だった松平容保が、孝明天皇から御製を入れた御宸翰を賜ったことを初めて世に明かしました。会津は朝敵ではなかったと世間に訴えたのです。

松平容保 幕末・明治 会津 歴史人物Tシャツ Historical Figures 059

明治31(1898)年2月、この本の完成を見ることなく、山川はこの世を去ります。その後、東大総長を務めた弟の健次郎らの手によって、『京都守護職始末』が刊行され、会津藩の復権につながっていきました。

こちらの記事などでもその事蹟を振り返ってみてはいかがでしょうか。

元会津武士・山川浩の西南戦争がまるでマンガ! 凄まじき戊辰リベンジ

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