戦国武将。尼子氏家臣。尼子十勇士の筆頭にして、尼子三傑の一人とされる。優れた武勇の持ち主で、現在では「山陰の麒麟児」の二つ名でも知られる。
衰亡した主家・尼子家再興のために忠誠を尽くして凄まじい執念で戦い続けた事績から、後に講談などで忠義の名将・悲運の英雄としての「山中鹿之助」が創られ世に広く知られていった。
その姿は武士道を精神的な支柱とした明治以降の国民教育の題材となり、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話が教科書に採用されて現在でも高い知名度を誇る。
通称は鹿介が正しいが鹿之介、鹿之助と表記される場合も多い。
なお、鴻池財閥の始祖・鴻池新六(直文)は家伝によると、山中鹿介の子という。



