生涯の大部分を十字軍遠征の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart、フランス語ではCœur de Lion)と称され、中世騎士道の鑑と謳われた、プランタジネット朝(アンジュー朝)第2代のイングランド王・リチャード1世のTシャツです。
政治的業績よりも逸話の多い王であったリチャード1世。
イングランドで生まれたものの、今のフランス北西部アンジューおよびアキテーヌで育ち、イングランドに滞在することは少なく、英語(中英語、アングロ=サクソン語)もほとんど話せず、自称もリシャール(フランス語で「リチャード」のこと)だったとのこと。
10年の在位中イングランドに滞在したのは合計でもわずか6か月で、その統治期間のほとんどは第3回十字軍遠征における、イスラム統一勢力を結集した英傑サラーフ・アッディーン(サラディン)との交戦やフランスのフィリップ2世との戦争に明け暮れました。
強敵には敬意を払い、敵将サラディンを「間違いなく最も強力かつ偉大なサラセンの指導者」と賞賛していたとか。
その勇猛さは敵となったムスリムからも評価されており、サラディンに仕えその伝記を著したベハ・アッディーンはリチャードについて「イングランド王の進軍の知らせに、ムスリムたちは震えあがった……戦場に何度も赴き、勇猛な戦いぶりがよく知られていたので、彼ら”フランク人”の目にはフランス王より下の地位にあったとはいえ、富の豊かさ、それに軍事的手腕と勇猛さでは断然上だった」と記したといいます。
また同時代のあるムスリムは「彼ほど豪胆な敵、また頭の切れる敵とは、これまで対戦したことがない」と書いているそう。
彼は故国の祖王たるアーサー王と円卓の騎士達の伝説を聞いて育ち、敬愛していたそうで、自分の剣をエクスカリバーと呼んでいたといいます。
そんな彼自身も中世騎士道の華として偶像化されていき、小説『アイヴァンホー』やロビン・フッド物語などでは主人公の頼もしい助っ人として登場してきます。
3頭の獅子をあしらったイングランド王室紋章を制定しており、現在の英国国章やイングランドサッカー協会の紋章や愛称(スリーライオンズ)などに繋がり、幅広く用いられています。
また、文才にも優れ、吟遊詩人や騎士が囚われたリチャードと歌のやり取りをしたという伝説が残っており、単旋律歌曲『囚われ人は決して』の作者とも言われているそうです。
十字軍遠征からの帰還の途上、オーストリアでの2年弱にわたる捕囚を乗り越え、解放後イングランドに戻り、王位を回復。
その後はフランスでフィリップ2世と争い、各地を転戦。この時期にノルマンディー防衛のために、中東の先進の要塞構築技術を取り入れたことで有名なガイヤール城を築いたりしています。
しかし、1199年3月25日、アキテーヌ公領シャリュでシャリュ城を攻撃中、鎧を脱いでいた時に肩にクロスボウの矢を受け、その傷からの壊疽によって10日ほど苦しんだのち、4月6日に死亡しました。41歳でした。
自分を撃った若い射手(名前はピエール・バジル)に理由を尋ねると、「陛下は私の父親と2人の兄弟を殺しました。どうぞ私も処刑なさってください、敵を討ったことを後悔はしていません」との返答があり、話を聞き終わったリチャードは「おまえの命は助けてやる」と言い、正当な戦闘行為によるものだから、たとえ自分が死ぬことになっても、この男のことは許すようにと周りに命じ、報奨金まで与えて放免したそう。(しかし、リチャードが亡くなると、この射手は捕らえられ皮剥ぎの刑に処されてしまったそうです・・・)
勇敢・寛大、中世騎士道の鑑と謳われた王の最期でした。
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