釈迦牟尼 仏陀 ゴータマ・ブッダ インド 仏教 歴史人物Tシャツ Historical Figures 103

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黒柄 – Black Design


紀元前5世紀北インドのシャーキヤ族の王族でしたが出家して悟りを開き、仏教の開祖となったゴータマ・シッダールタこと釈迦牟尼/仏陀/ブッダのTシャツです。


まず、様々な尊称・敬称・異名で呼ばれますが、そのそれぞれについて簡単にご説明します。

「釈迦」は釈迦の出身部族であるシャーキヤ族またはその領国であるシャーキヤ国を指す名称を音写したもの。
「釈迦牟尼」はサンスクリットで「シャーキヤ族の聖者」という意味の尊称であり、これを音写したもの。
「ブッダ」は、サンスクリット語の「知る」「目覚める」を意味する動詞ブドゥ(budh)の過去分詞形で、「目覚めた者「真理、本質、実相を悟った人」「覚者」「智者」「正覚者」のことであり、もともとインドの宗教一般において、すぐれた修行者や聖者に対する呼称でしたが、仏教で用いられ釈迦の尊称となりました。
「仏陀」はその音写であり、その略称が仏。ちなみに、中国に伝えられた当初の音写は「浮屠」「浮図」など。のちに、仏陀(佛陀)と音写されることが増え、西遊記でお馴染みの唐代の名僧・玄奘三蔵(602~664年)以降に固定したそうです。
「釈迦如来」と尊称する場合もあります。この”如来”については、やはりサンスクリットのタターガタ(tathagata)、語義は諸説あるものの「そのように来た者」「そのように行った者」等と訳される尊称を意訳したものだそうです。

なお、釈迦の本名とされるゴータマ・シッダールタですが、ゴータマ(ガウタマ)の姓を持つ一族のヴァルナ(カースト)はバラモン(司祭階級)であるため、クシャトリア(王族・武人階級)のシャーキャ族である釈迦の姓がゴータマ(ガウタマ)であることは不可解であり、「先祖が養子だった」などの諸説があるそうです。
また、名の方のシッダールタについては、古い仏典には言及がなく、意味が「目的を達成した人」と出来過ぎていることから、後世に付けられたもので本名ではない、という説があるそうです。


注:この頁では以降、釈迦で統一します。


さて、釈迦の生涯に関して。
釈迦の伝記としての仏伝は、歴史学の常ではありますが、伝説なのか史実なのか区別が明確でない記述が多いそうですが、インド大陸の北方にあった十六大国時代のコーサラ国の部族シャーキャ族の出身であるのは確実とされています。

よく知られているその生涯と仏教について、ごく簡単にではありますが改めてなぞってみます。

コーサラ国の属国であるシャーキヤのラージャ(サンスクリット語の君主号または貴族の称号。強大な権勢を持つラージャが「マハーラージャ(Maharaja)」)の子として生まれ、父をはじめ周囲の期待を一身に集め、二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、教養と体力を身につけ、多感でしかも聡明な立派な青年として育っていきました。
そして10代で結婚、跡継ぎ息子をももうけました。

しかし、釈迦は王族としての安逸な生活の中で人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家します。
その後、当時の既存宗教の師に学んだり、激しい苦行を伴う修行を試みるなど、様々な方法で、後述する”四苦八苦”からの解脱の道を模索します。

そしてついに35歳の釈迦は、ガヤー地区のほとりを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘のスジャータから乳糜(米をミルクで煮た料理。ミルク粥)の布施を受け、体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となりました(成道)。

その後、釈迦自身の悟り=仏法の説明は甚だ難しく、衆生に教えを説いても理解されず徒労に終わるだろうと、教えを説くことをためらい悩んだ末に、最終的には衆生に自らの悟りを伝えるべく決意を固め、80歳で入滅するまでに、ガンジス中流地域を中心に多くの弟子に教化・伝道しました。


釈迦が悟りを開き仏教を広めるまでがよくわかる!【ダイジェスト版】


現在では、キリスト教・イスラム教と並んで、世界宗教の一つとみなされている仏教。

ここからは、釈迦の悟りとその教え=仏教として現代に伝わっているものの核となった、こんにち原始仏教/初期仏教などと言われるものについて、弊店なりに少しなぞってみます。

釈迦の出発点は、上記のとおり、王族としての安逸な生活の中で痛感した人生の無常や苦しみでした。
如何にすれば、そのような無常感、苦しみ、煩悩、迷いから脱して、自由の境地に到達できるのか。

悟りに至る釈迦の基本的なスタンスは、徹底的に冷静に客観的に、そのような苦しみの原因を探ることでした。

まず、人生の苦しみとは何か?
これは、“四苦八苦”と言われるものです。

  • 生 – 生まれること。
  • 老 – 老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
  • 病 – 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。
  • 死 -死ぬことへの恐怖、その先の不安。

ここまでが四苦。

  • 愛別離苦(あいべつりく) – 愛する者と別離すること
  • 怨憎会苦(おんぞうえく) – 怨み憎んでいる者に会うこと
  • 求不得苦(ぐふとくく) – 求める物が得られないこと
  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく) – 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

以上の四つの苦を合わせて八苦です。

これら、生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのような正しい理解や洞察によって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能であると、釈迦は考えました。
そして、その道筋として“四諦”を示しました。以下のような内容です。

  • 苦諦 – 人生が苦であるという真理を理解すること。
  • 集諦 – 人生の苦の原因は、煩悩=欲望を求めてやまない衝動的感情であるという真理を理解すること。
  • 滅諦 – 煩悩を超えることで苦しみを滅っすることができるという真理を理解すること。
  • 道諦 – 苦の滅を実現する道があるという真理を理解する(そして実践する)こと。

この、煩悩=欲望や執着を超えるための思考と実践が“中道“という姿勢であったり、“三法印”と呼ばれる根本的な理念・考え方であったりするわけです。

“中道”とは、2つのものの対立を離れて不偏の姿勢ですべての執着や分別のはからいを離れた在り方のこと。
“三法印”

  • 諸行無常 – 一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在=生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないものである、ということ
  • 諸法無我 – 一切の存在には、いわゆるアートマンのようなそれ自体を根拠づける不変的な本質はない、あらゆる事物は現象として生成しているだけ、ということ

といった仏教理念の根本的な内容が含まれます。
なお、これらの無常であったり無我といった言葉の「無」の部分の印象が強いですが、これは「無い」と言う意味ではなく、”中道”ですから、〈有・無〉あるいは〈常・無常〉等も超えており、縁起や空といった概念で言い換えられるものです。

こうした概念・理念・考え方を腹落ちすることで、無常感、苦しみ、煩悩、迷いから脱することが、釈迦の悟りであったのです。
このように、救いを超越的存在(例えば神)の力によるものではなく、個々人の実践によって得られるものと説いて道筋を示したのが釈迦でした。
釈迦自身の実体験を最大の根拠に、この現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧めるものだったのです。


どうやら釈迦は、通常我々が”宗教”と聞いてイメージするような宗教の教祖ではなかったと思います。
冷静・客観的な、人を取り巻く現象の観察者とでも言えるのではないでしょうか。
宗教家というよりは、哲学者と言うほうが実像に近かったかもしれません。


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